~黄金色の夢~ ヨハネス・フェルメール『デルフトの眺望』マウリッツハイス美術館
2018年 06月 16日
この絵を見るだけにハーグを訪れる意味がある、マウリッツハイス美術館を訪れるたびにしみじみとそう思える珠玉の1枚。
いつかは現地の美術館で実物を見たい、と心に決めている大好きな絵が幾つかあります。
それはその絵の描かれた土地の空気や光の中でしか感じ取れない何かがそこにある、と思うから。
この『デルフトの眺望』はその想いをことに強く抱かせる、私にとっての”オランダを訪れる理由”
たり得る特別な1枚なのです。
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朝7時10分、朝日がデルフト市街中央にそびえる尖塔とその周囲の町並みを金色に染め上げる。
甘やかなエンジェルスキンカラーに照らされた対岸(鑑賞者側)と水面を挟んで面する外堀部分の
家並みはまだその大部分が蒼い影に沈んでいるが、向かって右上から差し込む光に呼び覚まされ
本来の鮮やかな色合いがそこここに息づき始めている。
絵に近づくと、光の当たった部分があたかも朝露が宿ったように点描の絵の具で縁取られていることがわかる。
やがて光の粒子の中で踊り出す色彩。
一見彩り豊かなこの情景も、よく観察すると画面を構成するベースカラーはブルーとオレンジのみ。
補色関係の二色の複雑で豊かな諧調のヴァリエーションによって、鑑賞者は今まさに河岸に臨み
目の前で朝日を浴びているようなヴィヴィッドな錯覚に誘われる。
澄み渡った空の青とそれを映した水面のややくぐもったパウダーブルー
日の差し始めた屋根や木立に使われているインディゴ・ブルー
そして一番暗い影の部分のミッドナイト・ブルー
フェルメールのブルーにはすべからくオランダの光が宿っている。
朝の階段を駆け上がる太陽によって刻一刻と表情を変えるデルフトの眺望の一瞬を切り取り、永遠に封じ込めた一枚。
晩年のプルーストもこの絵に魅せられた一人。
自作『失われた時を求めて』の作中で病身の小説家ベルゴットに自らを仮託し、
"小さな黄色い壁のように絵の具をいくつも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値のあるものにしなければならなかったんだ"
と反省させる。そしてその直後にベルゴットはこの『デルフトの眺望』の展覧会場で死んでしまう。
それほどまでにプルーストが激賞した『小さな黄色い壁』は尖塔の向かって右手にある、
朝陽によって金色に照らされた壁のこと。
この絵を実際に目の前にするとわかる。この金色の壁は心の奥にひそむ憧れの象徴なのだと。
手の届きそうで掴み難い永遠の憧憬と夢。
同じく『失われた時を求めて』の冒頭で描かれているのが黄金色のマドレーヌのかぐわしさ。
この五感の記憶に残る黄金色の手触りこそがプルーストが描こうとした”失われた時”なのかもしれない。
そしてフェルメールがこの絵で描きたかったものも。
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同じくマウリッツハイスに収蔵されているフェルメールと同時代のオランダの画家が描いた風景画。
同じ17世紀後期・同じく風景の中の光を絵の主題に描いているにも関わらず、その差は歴然。
この画家が凡庸なのではなく、フェルメールが時代や流派を超越した稀有な存在である
ということが実物を見比べるとよく分かります。
『ハーレムの眺望』Jacob van Ruisdael 1670-75年頃